孫はかわいい。孫育てに献身的な方たちのコメントを見るたびに本当に立派だと思い、わが身を振り返り落ち込んでしまう。
私自身は、毎日二組4人の孫と関われることは本当にありがたいことだと思う。小学生になった二人は3,4時間なら昼間は留守番もできるようになって、私はようやく時間を気にせず趣味のスポーツに没頭できるはず、と思った。
保育所に通う二人の孫の家とは「スープの冷めない」距離。現在は時間の優遇はあるが、正規の医師として働く娘が心配であり、頼りにしている様子を無下にもできない。平日はほぼ毎夕様子を見に行き、まだまだ言葉も操れず夕刻になると泣き叫ぶことの多い孫の守りをし、娘の家事が終わるのを見計らって帰る。娘の夫の帰宅は遅い。1歳半の孫は発熱が多く保育所を休みがちだったが、ようやく娘は病児保育所を見つけた。あゝ、少し荷が下りた、と思う。
私は本当に恵まれているとは思う。でも、私自身はどこかに勤務しているわけではないので、娘たちのSOSに応じられないと後ろめたいと思い、周囲の人たちからは「助けてあげろ、手伝え」と言われるたびに自分が冷たい人間なのかとつらくなる。夫は他界したので自分の予定をキャンセルするしかない。
自分の時間をやっと持てたので始めた趣味のスポーツを、後どれだけの年数健康なまま楽しめるのか、究められるのかと思うと焦りもあり悔しい。
娘の夫の両親は車で1時間の所に健在だが、二人ともまだ働いているという理由で孫育てには一切関わらない。前もって頼めることでもSOSは近くに住む私の方に出してくるのが当然だと娘夫婦は考えているようだ。
「暇な」私が手伝うのが当然なことで、自分の趣味を楽しむことは外で働くことより劣ることなのか、そのために時間を自由に使いたいと考えるのは祖母として否定されるべきわがままなのか。どう考えて自分の残り時間を生きるのがストレスのない生き方なのだろう。